「わたしたちは組合員をサポートし、お客様に喜ばれる美容業をまもります」
保険共済事業
年間たったの600円の保険料で、
最高1億円まで補助
開業支援経営指導
有利に資金を調達可能
運転資金もOK
美容教育育成事業
ガラ・ド・ラ・コワフュールをはじめ、
年間を通し、様々なイベントや講習会を実施
組合は、美容業における衛生水準の維持向上を図り、利用者の利益の擁護と組合員の経営の安定に資するための措置を講じ、公衆衛生の向上と国民生活の安定に寄与することを目的としています。
美容業は、美容師法に基づき、国家免許を与えられ、必要な衛生措置を講じた上で業を行なう専門性の高い業務で、美容師だけに営業が許された職業です。
ところが、政府の規制緩和推進政策で、一部の事業者の利便性だけで洗髪設備のないカット専門店の営業が許可されたり、カットに特化した資格創設や理容師・美容師の混在の認可の申請が毎年出されています。
これは異業種から美容業に参入した一部の大手チェーン店に都合のいいだけの規制緩和要求です。多くの利用者に安全で確かなサービスを提供するためにこの業務独占はしっかりと守っていかなければなりません。
組合の誕生
戦後、20年までの美容業界は、複数の組織が存在し、正に群雄割拠の時代であった。昭和31年頃から環境法と理容師法から分離した美容師単独法が国会で審議されはじめ業界組織の一本化を望む声が大きくなっていた。この時期。全日本美容師連盟(全美連)、日本美容師総連合(日美)、美容師行政全国連盟(行政連)の3団体が主義、主張を異にして対立していたが、この3団体が協議を重ねた末、昭和32年3月、全日本美容組合連合会が結成され美容界が初めて1つになった。
更にこの年、環境法、美容師単独法がそれぞれ施行され、翌昭和33年1月17日、現在の組織である全日本美容業環境衛生同業組合連合会(全美環連)が27都道府県の参加を得て発足した。
こうした経過の中で、東京都の美容業者は全美環連発足までは、全美連、日美、行政連の各団体にそれぞれ個別に又は地域(現在の支部)毎に所属していたが、昭和32年の環境法の成立をにらみ、各道府県美容環同組合結成の動きが始まる。
BA東京 本部理事長のご挨拶
沿 革
昭和32年 9月 | 創立総会を開催。初代理事長に二見重子が就任 |
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昭和32年 11月 | 設立認可 |
昭和34年 2月 | 初めての大きな行事として“髪の祭典”第1回ガラ・ド・ラ・コワフュールの歴史を刻む |
昭和35年 5月 | 第2代理事長に山野治一氏が就任 |
昭和36年 7月 | 組合の大きな目的である「東京都美容業適正化規程」が認可され、組合員が遵守すべき料金及び営業方法等を制限、美容室の健全経営にむけての努力がなされた |
昭和42年 5月 | 組合機関紙「東美タイムス」第3種郵便物認可 |
昭和43年 5月 | 第3代理事長に石丸辰五郎氏が就任 |
昭和44年 4月 | 労働保険事務組合認可 40年代までは組合事業の基盤整備が行われ、以後、組合員の経営指導、共済制度の導入、福利厚生、技術教育の充実等、各種事業を施行 |
昭和46年 4月 | 代々木に美容会館の落成を見、新宿百人町から組合事務所を移転、組合施設の充実を図る |
昭和53年 5月 | 第4代理事長に塚本サキ氏が就任 |
昭和57年 5月 | 第5代理事長に菅原清氏が就任 |
昭和60年 9月 | 初のアジア大会が東京で開かれ、地元として全面協力 |
昭和61年 1月 | 第6代理事長に柏木欣哉氏が就任 |
昭和61年 6月 | 管理美容師制度訴訟終結 |
昭和63年 1月 | 創立30周年記念式典挙行 |
平成4年 10月 | 日本で初の世界大会が東京で開かれ、組合あげて協力 |
平成9年 1月 | 創立40周年記念式典挙行 |
平成12年 5月 | 東京都福祉美容サービスセンター発足、福祉美容の充実を図る |
平成12年 10月 | 組合ホームページ開設 |
平成13年 1月 | 法改正により「環境衛生」から「生活衛生」に組合の名称を変更 |
平成15年 4月 | 東美ダイレクト便スタート |
平成16年 5月 | 第7代理事長に渡邉志雄氏が就任 |
平成20年 1月 | 創立50周年記念式典挙行 |
平成21年 9月 | 東京都美容生活衛生同業組合青年組織「サクシード」発足 |
平成22年 5月 | 第8代理事長に金内光信氏が就任 |
平成25年 3月 | 有料職業紹介事業認可 |
平成30年 1月 | 創立60周年記念式典挙行 |